Guitar Case 29

Guitar Case > 2002

ビギンの島唄がオススメ

CDはレンタルを利用している人も多いだろうが、私は新品を買いたい方だ。
本にしても、図書館へ行く習慣は全くなく、買って書棚をにぎわしておきたいのである。
コピーしたCDだと、聴くのがつい億劫になり、大金をはたいていないから、ついぞんざいに扱ってしまう。
よって、これだと決め込んだCDには、著作権者に還元すべく、正規の料金を払い、襟元を正して聴く、善良な消費者である。

そう言いながらも、年に5〜6枚程度の購入頻度であるが、先日、久しぶりに買ったのが『ビギンの島唄/オモトタケオ2』。
BEGINのCDを買うのは初めてで、まちだ屋の店長さんから、「今度


2002年7月3日発売!

のニュー・アルバムは、カンカラ三線の練習曲が収録されていておもしろいよ」というお薦めにのかった。

実は今、このバンドに出会えた喜びをかみしめている。
三線のリズムにのせて、ウチナーのアイデンティティーである島唄をうたうかっこよさに、少々嫉妬も感じている。
このアルバムでは、彼らのうたう島唄に心酔い心躍らせているのだが、どうも、BEGINは根っからの島唄バンドではないらしい。
デビューして十数年、ハードロックを刻んでいた時もあったと聞く。
そうした経歴には、ここでは深く立ち入らないようにして、しばし『島唄のビギン』に酔いしれよう。

このアルバムを手にしたことによって、あらためて我々ヤマトゥの人間が大事にすべき音楽が見えてきた。
そして、エンヤトット一座のやろうとしていることが、大きくはずれていないなという自信も得た。
こうして彼らの後姿をとらえたが、我々の道はまだ遠い...。

by くりんと 

Guitar Case 28

Guitar Case > 2002

三味線と三線とカンカラ三線

これまで、三味線、フラットマンドリン、バンジョー、ウクレレと様々な弦楽器を手にとり、ステージでの演奏を試みてきたが、いずれもわがバンドの顔となりうる楽器には至っていない。
私の演奏の稚拙さに、まず原因を求めるところなのだが、おかげで我が家は弦楽器ケースであふれている。

さて、三線を手にして一月あまり。
このたびは、思いのほか練習熱心な私がいる。
楽器というのは、いつでも手に届くところにあって、毎日手にするのが上達への近道なのだが、私の場合、真新しい楽器ゆえケースにしまいこみ、そこからの出し入れがわずらわしくて徐々に遠ざかっていくという不精を繰り返してきた。
三線の場合も、相変わらず大事に大事に取り扱いハードケースの中なのだが、手元には例のカンカラ三線がある。
(ここが、今までのパターンとは違うところ。)
こちらは、掃除機にぶつかろうが、子どもが興味を示そうが、一向にお構いなし。
音量も適度で、気がつけば手にして「ハイサイおじさん」のさわりを弾いている。
そのうち本物のサウンドを奏でたくなり、三線を手にするという好循環。

また、三味線に比べて、三線の演奏のたやすさも幸いしている。
(その1)
三線は、三味線に比べて棹が短く、また、三味線のようなハイ・ポジションでの演奏が少ない。
ツボが4〜5つの範囲内で、たいがい弾ける。
(その2)
三味線は銀杏型のバチで弾くのに対し、三線はそれ用の独特なピックがあるが、最近多用されているギター・ピックだとさらに弾きやすい。
三味線のバチの扱いは、かなりの鍛錬が必要。

三線には、『工工四』という独特の楽譜があるが、これに慣れるにはけっこう時間がかかりそうである。
私は、三味線の時に用いた3弦のTAB(タブラチャー)という楽譜に書き直している。
喜納昌永・喜納昌吉監修の『喜納流・三線教本(初級編)』という教則本もお薦めである。

というわけで、三線が一座のステージに上るには今少しの時間が必要だが、「下を向いて歩こう」というそれ向けの歌は、既に作曲済みである。

by くりんと 

Guitar Case 26

Guitar Case > 2002

イタリア歌曲とエンヤトット一座?

先日、大阪のいずみホールへ「イタリア歌曲の流れ〜トスティの世界〜」を聴きに行った。
実は、一座の葉月さん、本業は関西二期会に所属している声楽家なのだ。
その彼女の舞台ということで、今回、初めてそうした演奏会に足を運んだ。

クラッシク専用ホールというところも初めてで、こちらのロビーは一見ホテルのよう。

クロークやバーコーナーまであって、出演者へのプレゼント等は
受付横で預けるシステムになっている。
ホールに入ると、中央にパイプオルガンが配置された舞台があり(写真上)、吹き抜けの高い天井にバルコニーが張り出して、大きなシャンデリアがいくつもぶら下がっていた。
一座の平井君とともに、「正装で来てよかったなあ」と安堵する。

彼女にとってはいくつも踏んできたステージなのだが、こちらは勝手に、そそはないだろうかとハラハラしながら、無事演奏の終了を見届ける。
他の出演者については、パンフレットを参考にしながら舞台に耳・目をやり、精一杯、こうした音楽こうした世界を読み取ろうとするのだが、残念ながら鑑賞するという用意まではできていない。
官能的なイタリア語のフレーズが何度も頭の上をすり抜けていく。
ほぼ2曲ずつで歌い手が変わるため飽きが来ず、表情豊かな演奏家や迫力あるサビの部分には、さすがに私の目も心も反応する。

私たちがやっているロック系の音楽やいわゆる流行歌との違いはなんだろうか?
この疑問が、終始私の頭を離れない。
1度くらいのコンサートでもの言うのもおこがましいが、ご批判を恐れず何点か感じたところを。

○ ロックや流行歌のライブは、リズムを合わせたり一緒に歌ったりあとでカラオケをやったり「参加する」楽しさがある。
それに対して、オペラや歌曲のコンサートは「鑑賞する」楽しさを味わうもののようである。
○ 前者は巷にあふれている大衆的な音楽で、多くの人々にリズムや楽器のなじみが出来ているためすぐに参加できる。
一方、後者の音楽の場合、多くの日本人にその用意がなく、鑑賞に至るためには個々の勉強・努力が必要となってくる。
初めて、歌舞伎や能、文楽を鑑賞に行った時も似たような感想をもった。

残念ながら、今回の私にはそうした用意がなかった。
歌舞伎や文楽については、その後も足しげく通うまでに私自身高まったのだが、それは日本の伝統芸という興味にも後押しされてのものだった。
ジョン・レノンが文楽を初めて見たとき、言葉は解らぬとも、心で鑑賞し時おり涙を流したと聞く。
イタリア歌曲を鑑賞するにも、やはり理屈ではないのだろうか?

by くりんと 

Guitar Case 23

Guitar Case > 2002

シューベルト『ます』のオチ?

最近、車にクラッシックのCDを積み込んでは聴いている。
いつしか学校の音楽室で聴いたような聴かなかったような、メロディーに少し聴き覚えはあるのだが曲名や作曲者名が出てこない、といったクラッシックの入門編ばかり集めたようなCDである。
なかなかの掘り出し物もある。
いま、気に入っているのが、『ます(シューベルト)』『アルルの女のメヌエット(ビゼー)』『スラブ舞曲第10番(ドヴォルザーク)トランペット吹きの休日(アンダーソン)』などなど。

アウトドア派の私には、この『ます』という曲がかねてから気になる存在であった。
この曲のますは、彼の生れ故郷オーストリアという土地・河から判断すると、ブラウン・トラウトと推定される。
日本では、レインボー・トラウト(虹鱒)が各地で養殖されていておなじみだが、このブラウン・トラウトもけっこうあちこちの河川や湖沼で放流されていて、私も何度か釣り上げたことがある。

Die Forelle ます      by Schubart

澄んだ小川で さっと軽やかに
矢のように泳ぐます

僕は岸辺で  のんびり見ていた
元気な魚が  澄み切った小川で泳ぐのを

一人の漁師が釣竿を手に
岸のそばにやって来て
冷たいまなこで魚の泳ぎを見守った
水がこんなに澄んでいれば
よもやますも釣針に掛かることはあるまい
と僕は考えた

しかしついにあの盗人は しびれを切らし
ずるがしこく  小川をかきまわし濁らせた
そして あっという間もなく
竿はぐっと引き込まれ 掛かった魚ははねまわった
僕はかっときながら だまされた魚をじっと見つめた


さて、この歌詞に登場してくる釣り人だが、手にしていた釣竿の種類まで気になるのは、私だけだろうか。
この漁師の釣り方は、まず、澄んだ川のますを見て取り、その後川を濁らせて獲物を手にしている。
シューベルトの誕生より100年以上も前に刊行された、アイザック・ウォルトン(英)の『釣魚大全』を読み直してみると、当時の鱒釣りの方法として、ミミズや小魚、毛虫、羽虫を使った餌釣りと毛針を用いたフライ・フィッシングとがある。
歌詞には、「ずるがしこい盗人」という表現があるため、当時のインテリ階級の紳士のスポーツ・フィッシングであった毛針釣りは考えにくい。
よって、獲物を得るためには手段を選ばないより確実な方法の、餌釣りであった可能性が高いと推論する。

落ち着いた青春の  黄金の泉のもとにいる娘さん
みなさん  ますのことをお考えなさい
危険を見てとったら急ぐこと
みなさんにたいがい欠けているのは 用心深さ
娘さんたち  ご覧なさい 釣針をもって誘惑する男たちを
さもないと  あとで後悔することになりますぞ

とこんな話はこれぐらいにしておいて、この曲『ます』のシューベルトの原詩には、 左のような第4節があって、教訓的なオチをなしているのをご存知だろうか。
シューベルトは賢明にも、この部分を省いて作曲したらしい。

by くりんと 

Guitar Case 22

Guitar Case > 2002

河島英五「心から心へ」

河島英五の「心から心へ」をフル・コーラスで聴きたいという予ねてからの願いが、ついにかなった。
比叡山1200年コンサートの映像で、27分もあるこの曲の「結」の部分(下記に抜粋)だけを聴き、以来、「起」「承」「転」を追いかけて十数年。
私の努力不足だったかもしれないが、「河島英五大全集第3巻(徳間ジャパンコミニュケーションズ)」におさめられていることを、このホームページ<Guitar Case 9>を訪れた方から教えていただいた。
デジタルで一方的なコミュニケーション手段と、半信半疑であったインターネットに、人肌の温もりを知った一瞬でもあった。

河島英五の代表曲といえば、「酒と泪と男と女」や「時代おくれ」など"酒豪もの"がよく取り上げられる。
しかし、この「心から心へ」は、力ずくの若き肉体とそれを理解しながらも必至でコントロールしようとする精神の葛藤がうたわれたもので、彼の初期の頃の作品には、こうしたテーマのものが多い。
かつて悩める20代の私が、兄貴と慕ったのはそうした曲だった。

緊張しながらCDのPlayボタンを押すと、アコスティックギターのアルペジオにのせて、
「洗濯機と冷蔵庫が ひとつ屋根の下に暮らしても 愛とか憎しみとか  心みだれることも無いだろう・・・」という詞が聞こえてきた。
私の想像する「起」を絶していた。
足先まで電気が走った。
おそらく、自身のノン・フィクションではないかと察せられる詞が、その後の「承」「転」を織りなしていく。

これまでのベスト・セレクションCDとは違って、この大全集3巻には、そのような曲が多く収録されているようで興味深い。
ただ、私が河島英五を追跡するのは、これぐらいにしておこうと思う。
いい出会いには、その時でなくてはならない"機"というものがある。
歌手河島英五との出会いには、いつまでも体温を残しておきたい。

「心から心へ」(抄)  
詞:河島英五

 
君と僕の  ふたつの心は
ほろびる為に  
愛しあったのではない

白いビンセンに
したためた文字は
長い旅の後の
君への愛

山よ河よ雲よ空よ
風よ雨よ波よ星たちよ
大いなる  大地よ
はるかなる  海よ
時を越える  ものたちよ

あなた達に 囲まれて
私達は  生きてゆく
たった一度きりの
ささやかな人生を
くり返し  くり返し
ただ  ひたすらに

くり返し  くり返し
伝えられてきたものを
くり返し  くり返し
伝えて  ゆくんだ
くり返し  くり返し
心から心へ

心から心へ
心から・・・ 心へ・・・

by くりんと 

Guitar case 21

Guitar Case > 2002

祖父は興行師

私の母方の祖父が、戦後の一時期、和歌山で、大衆演劇や浪花節(浪曲)の興行師をやっていたらしい。
その血を引く伯父の一人は、若くして亡くなったが、芝居に興じていたとか、興じさせられていたとか。
また、その商売の当たり外れによって、家も6軒売ったという話になっているが、ここまで来ると多少尾ひれがついていそうである。

その祖父は、私が小さい頃に亡くなっているので、直接聞いた話ではない。
実は、つい先日、母の口からこぼれてきて知ったことであり、今なおその驚きが覚めやっていない。
自分の祖先に、著名人や人物がいたというわけではなく、地方の興行師をやっていて、その上財産をはたいたかもしれないというのに、ほのぼのとうれしいのはなぜだろう。

最近になって、そうした話が母から出てきたのには、どうやら私とエンヤトット一座の活動に、その祖父の面影を重ねたらしい。
私が係わってきた岡林信康や高田渡らのライブ興行や露の新治の落語興行のことなどもよく知っているし、エンヤトット一座のライブにも時々顔を見せる。
私の芸ごとには、祖父の血が流れているというわけだ。
私自身がにんまりしたのも、そのDNAの解明が1つ進んだことによるのかもしれない。

ただ、1軒しかないわが家、くれぐれも失わないようにしなければならない。

by くりんと