Guitar Case 86

Guitar Case > 2011

朝ドラ『カーネーション』にはまる

NHKの朝ドラにはまっている。いつ以来だろうか。これまで、『ふたりっ子』、『ほんまもん』、『ちりとてちん』が、私の中の朝ドラだが、2011年の秋に始まった『カーネーション』は、まちがいなく3本の指に入りそうだ。見始めたきっかけは、同郷の女優尾野真千子がヒロインに抜擢されたこと。彼女が出演した映画『萌の朱雀』、『殯の森』、『クライマーズ・ハイ』などでは、シリアスな女性の役を演じてきたが、朝ドラではどんなキャラを演じることができるのか期待と不安が交錯していた。
 しかし、その不安の方は杞憂であった。岸和田に生まれた男には“だんじり”というアイデンティティーがあるが、女は乗れない。やがて、ヒロインは糸子は“ミシンというだんじり”を見つける。昭和初期という時代に、“女だてら”に洋装店を起業する男勝りの馬力を、尾野真千子は見事に演じている。

実は、私が食いついたのは“岸和田弁”。ドラマのヒロイン小原糸子は、ファッションデザイナーのコシノ3姉妹を育てた母・小篠綾子がモデルとなっているが、その次女のコシノジュンコは、朝日新聞の“仕事力−コンプレックスの効能−(2011/10/30付)”でこう述べている。「18歳で上京して文化服装学院に入学した時から、強い方言のために笑われ、恥ずかしく、私は人と交流することを避けて口を閉ざしました。そして半年間ひたすら黙々と絵を描いた。19歳の若さで異例の装苑賞を受賞出来たのは、その悔しさのおかげでしょう(笑)。」彼女にとって、かつてコンプレックスであった岸和田弁が、このドラマでは血液となってテンポよくストーリーを運んでいる。また、糸子の男子同級生(ボケ役)に対して発する「コラッ、ボケェ〜」のツッコミは抜群で、いたるとこ ろに“漫才”が見られる。
 今回、このドラマの岸和田弁から、2つの発見をした。1つは、私や父が使っている五條弁のルーツに金剛山を越えた泉州 (岸和田などの和泉地域)があること。2つめは、私の母が使っていた和歌山弁も和泉山脈を越えた泉州に由来していること。五條は泉州の東、和歌山は泉州の南ということで、それぞれの方言はずいぶん異なるが、ドラマ中の岸和田弁は私のDNAをガンガンくすぐってくる。ヒロイン演ずる尾野真千子も五條市西吉野町出身とあっては、岸和田弁に無理がない。おばあちゃんを演ずる正司照枝は、演じているのか地のままなのかわからない。(笑)

私がもう一つ食いついたのは、ヒロインの母・千代を演ずる麻生祐未の役どころ。神戸の富豪松坂家のお嬢様育ちだが“超天然”。大阪の笑いとは異なったテンションで、ドラマを和ませてくれる。実は、NHKのサラリーマンNEO「君子、46歳のメモ」シリーズでも、麻生はキャリアウーマンの天然ぶりを抜群に演じている。民放のドラマ『JIN−仁−』では、綾瀬はるか演じる橘咲の母親役をシリアスに演じていたが、NHKでは彼女の新境地を覗かせている。
 『カーネーション』、今から見ても遅くないですよ。

by くりんと

Guitar Case 85

Guitar Case > 2011

石巻に立つということ

 イチローは1億円、孫社長は100億円の義援金。木村拓哉をはじめSMAPのメンバーは、“出張ビストロマップ”と称して東北の被災地を訪れ、あたたかい料理と共に元気もふるまっていた。阪神タイガースの金本選手や新井選手もユニホーム姿で駆けつけ、笑顔をふるまっていた。一方、私にできたことは、義援金をいつもよりは奮発して1000円札を取り出したぐらい。先に紹介した著名人と私とでは、財力も知名度も桁違いだが、日本がここ一番の時にできることって義援金ぐらいだろうか。ミュージシャンの端くれとして、チャリティーコンサートをという声もメンバーから一瞬発せられたが、葉加瀬太郎やオノ・ヨーコ、桑田圭祐のようなわけにわいかない。比べる相手が間違っているのだろうか。3月11日以降、ずっともやもやしていた。
 そんな時、同じバンド仲間のヘビメタ・ロッカーが、GW中に震災ボランティアに参加したということを耳にした。もちろんギターなどの楽器類は持たずに、作業着で石巻に立った。彼は熱い人間だ!私のように屁理屈をこねまわさず、とりあえず向かった。
 数か月遅れとなったが、私も石巻に立つことにした。震災ボランティアの募集に手を挙げた。現地では、墓地に積もった瓦礫の撤去と塩水をかぶった苗床の洗浄。いずれも手作業の人海戦術だが、全国から集まった若者たちと力を合わせていると、不思議と感動がこみあげてきた。私一人の力でできることは、瓦や柱などの瓦礫を墓石の隙間から拾い上げること、洗車ブラシで苗床を1枚1枚水洗いすることだが、みんなで取り掛かれば見た目にも作業がはかどっていく様を実感できた。「ほんとに微力だが、ひょっとすると復興の一役を担うことができるかもしれない」という心地よい疲労感だった。
 地元のボランティア受け入れ団体のあるリーダーは、「物見遊山で被災地へ来るなという人もいるが、私は物見遊山でもいいから来てこの現実を見てほしい。そして、帰ったら伝えてほしい。」とおっしゃっていた。行かなければわからない。そこに立たなければわからない。テレビから流れてくる情報は、流し手が編集したものであって、自分の目で確かめることから次の一歩が始まる。今、私も先のリーダーと全く同感である。
 私たちが住む奈良県でも、台風12号によって大水害がもたらされた。11月に入ってやっと、ライフラインが通じるようになったが、復興のめどは立っていない。被災地の状況やボランティアの受け入れ体制などは、東日本大震災の場合とずいぶん異なるので、同じような動き方はできない。しかし、少しでも早くその地に赴いて、現状を自分の目で把握し、被災地の方の話をこの耳でうかがいたいと思った。そこから次の動きが生まれてくる。
 2011年という年は、人智の「想定」というものを、自然はいとも簡単に覆えしてしまうということを教えてくれた。

by くりんと

Guitar Case 84

Guitar Case > 2011

サディスティック・ミカ・バンド 『NARKISSOS』

 NHK-BSハイビジョン特集「早過ぎたひと 世紀の伊達男 加藤和彦」(2011年10月15日放送)をみた。彼の追悼番組だが、なかでも、安井かずみとの結婚生活は興味深かった。彼女に一流のファッションや料理、ホテルやサービスといった環境と財力を惜しみなく提供する中で、彼女の口から紡ぎだされる言葉や詞を彼が作品に仕上げた。まるで、一流の環境からしか一流の作品は生まれてこない、とも言いたげなようなスタンスだが、加藤が言うと嫌味でない。彼の天才的な才能を認めた上で、そうした才能もある種財力によって開花を促進するのかなと悟る。
 実はこの番組で、私が一番食いついたのは彼が率いる「サディスティック・ミカ・バンド」の存在。ファーストアルバムがイギリスの音楽プロデューサー、クリス・トーマスの耳にとまり、1974年セカンドアルバム『黒船』を発表した。このアルバムは日本のロック史上名盤との誉れ高く、全英ツアー成功している。その後、ゲストヴォーカルを迎えて3度の再結成を行っ た。(以下の表参照)

バンド名 Gui Drums Vo Gui Bass Album
1972 Sadistic Mika Band 加藤和彦 角田ひろ 加藤ミカ      
1973 高橋幸宏 高中正義 小原礼 「サディスティック・
ミカ・バンド」(1973)
「黒船」(1974)
  後藤次利  「HOT! MENU」
(1975)
1975 解散
1985 Sadistic Yuming Band 松任谷
由美
※坂本龍一も参加
1989 Sadistic Mica Band 桐島
かれん
小原礼 「天晴」
2006 Sadistic Mikaela Band 木村
カエラ
小原礼 「NARKISSOS」

 「この機会にサディスティック・ミカ・バンドのアルバムを聞いてみよう」と、手に入れたCDが、木村カエラをヴォーカルに迎えた『NARKISSOS』。初回限定盤には、「Big-Bang,Bang」「タイムマシンにおねがい」の2曲とインタビューが収録されたDVD付いてい る。加藤の言葉によれば、「どの年代の方にも満足していただけるノリ(Grooving)に仕上がっている」ということだが、このアルバムの代表曲でもある先の2曲には衝撃受けた。特に、「タイムマシンにおねがい」は、初代ミカ・バンドの演奏で知る方も多いだろうが、これまでの3人のヴォカリストの中でカエラが一番うまいと、これも加藤が言っていた。私は、この2曲ですっかりカエラのファンになってしまった。DVDの映像では、彼女の歌いっぷりやステージ上でのはじけっぷりも見ることができる。
 あと、個人的には高橋幸宏のファンで、彼のドラムがアルバムの全曲にわたって参加しているので、そのプレイを聞けるだけでもうれしいが、ヴォーカリストとしての魅力も2曲で披露されている。もはや5年も前の作品で、今頃になって興奮する私は時代遅れかもしれないが、5年のタイム・ラグで加藤の作品にやっとたどりついたのであれば、まだよしとしよう。

by くりんと

Guitar Case 83

Guitar Case > 2011

Grooving(ノリ)の創造

 春は「霞か雲か」と歌われるが、私の場合、今年はすこぶる視界がいい。実は、長年のバンドの課題であったものに、解が見出されようとしている。
 少し前に、NHK-ETVで「スコラ/坂本龍一・音楽の学校」という番組が放映された。「バッハ編」「ジャズ編」と続くが、なかでも最後の「ドラムズ&ベース編」がとても 面白かった。坂本龍一氏が 聞き手となって、ドラムズには高橋幸宏氏、ベースには細野晴臣を迎える。言うまでもなく、3人は1980年前後に音楽シーンを席捲した元YMO
(Yellow Magic Orchestra)のメンバーだ。テーマは、ダンス・ミュージックなんかの大切な要素「ノリ(=Grooving)」をどうやって作り出すかという、この一点。
 実は、私たちエンヤトット一座も、最近、“ノリ”の生みの苦しみにあえいでいた。 「いい趣味をお持ちですねえ」の宴会芸からとっくの昔に卒業したはずだが、次の山が乗り越えられない。バンドコンテストなんかでも、「個性的ですね」の評価から抜け出せない。「下手だからもっと練習を」と気合を入れるが、具体的な登山口やルートが見出せないから練習にも身が入らない。挙句の果て、お互いの所為にしだし、喧嘩腰のムードも漂っていた。
 そんな時、目に耳に飛び込んできたのがYMOの「Grooving論」。僕たちが喘いでいたのは、この一言に尽きた。 “ノリ”だ。 この“ノリ”ということに、全く意識がないわけではなかった。意識はあったが、メンバー共通の理論を、言葉を、尺度を、モデルを、師匠を持ち得なかった。

 そもそもYMOも、今から30年前に“ノリ”という数式を解いていた。“ノリ”は世代間でも、国籍間でも異なるという。それぞれがすでに第一線のプロ・ミュージシャンであった彼らでさえ、それは難解な問であったという。そして、コンピューターの導入と共に、“ノリ”の数値化を試み、その可視化に成功したのだ。例えば、沖縄音楽のリズムは12:12の2拍ではなく、「14:10の2拍」という黄金比の発見だ。
 一方で、彼らの演奏スタイルは、全く逆のことを試みた。“ノリ”を一切排除したリズムによる音楽「テクノ・ポップ」だ。YMOと言えば、当時珍しかったシンセサイダーを駆使し、世界に打って出て初めて成功したメイド・イン・ジャパンのミュージシャンという印象だった。そのファッションも奇抜で話題を呼び、当時大学生だった私も、テクノ・カットでキャンパスを闊歩していたのだが、彼らは30年も前に、奇しくも今私たちが抱える“ノリ”という課題を解き、一方で“ノリ”のない音楽を試みていたとは、当時、夢にも思わなかった。

 さて、“ノリ”を創る楽器の中心は、ドラムズ&ベースである。好きなミュージシャンたちが、どのようなテクニックやリズムで“ノリ”を創造しようとしているのか、先日から、そんなCDの聴き方をするようになった。これまで何百回と聴きなれた曲も、とても新鮮である。視界が晴れてきたといっても、登山はこれからだが、今後のエンヤトット一座を期待しておいてほしい。

by くりんと

Guitar Case 82

Guitar Case > 2011

作詞家山田つぐと

 「作詞家山田つぐと」といってもピンとこないなら「かぐや姫の山田パンダ」。とこちらも、今やある年齢層のフォークファンとしか共有できないかもしれない。南こうせつ率いるかぐや姫では、主にウッドベースを担当していたが、「僕の胸でおやすみ」「君がよければ」「黄色い船」「こもれ陽」「眼をとじて」などの曲は彼の作詞・作曲である。

「君がよければ」  詞・曲:山田つぐと

 君の得意な話をきく季節がくる
 毎年一度だけひどく気どってさ
 そうさ僕のまわりはいつも変わらないよ
 猫が三匹生まれたくらいでね

 ここにはにぎやかな所はないけれど
 今年も又二人で釣りに行こうか
 君がよければ僕のレタス畑なんかも
 見て欲しいから

 君の好きな杏子のジャムの
 今が一番うまい時なんだ
 ここの暮らしもまんざら悪くないよ
 いつでも僕は待っているから

 

「僕の胸でおやすみ」  詞・曲:山田つぐと

 君の笑顔の むこうにある悲しみは
 僕のとどかないところにあるものなのか
 ふたりで歩いてきた道なのになんてさびしい
 古いコートは捨てて 僕の胸でおやすみ

 春は訪れ そして去っていく
 変わってしまう悲しみは僕も知っている
 この船であてのないふたりならば
 古いコートは捨てて 僕の胸でおやすみ





 私は、ウッドベースというスタイルに加え、ほんわかしたあの人柄が好きで、彼の曲も好んで聴いた。彼の曲の詞には、たいがい“待つ男”がいる。学生時代には、その“待つ男”がかっこいいと信じ、そう演じた。今で言う「草食男子」? しかし、それでは恋愛も成就しないと悟ったのは20代半ば。それからは、“攻める男”にギアを入れ変えたことがずいぶんと懐かしい。

 あれから?十年。今、彼の歌声が流れてくると、あの時と変わらず耳に心地よい。とても穏やか気分になるのはなぜだろう。彼の歌はとっくに卒業したはずなのに。根底に流れてる私の鼓動は、やっぱり“待つ男”なのか。
 しかし、こと恋愛に関しては、たとえ一時的であったとしても、男は“狼”にならなければならない。私の場合、その時は“吉田拓郎”にシフトしたように記憶している。そして、ついに成就した時は“大瀧詠一”なんだんあ。

by くりんと