Field Guide
                         くりんとのフィールドノート

           
   
 妹山樹叢

吉野川を挟んで左・妹山、右背山

【天然記念物】
 大名持神社(吉野町河原屋)の社叢である妹山は、吉野川に面した標高249m(吉野町HPより)の秀麗なやまである。この杜には、ツルマンリョウ、ルリミノキ、テンダイウヤク、ナガバジュズネノキ、ホンゴウソウ、ホングウシダなど暖地性植物が群落を形成し、1928(昭和3)年、国の天然記念物の指定を受けている。
 弥生時代以降、西日本の照葉樹林のほとんどが人の手による開発を余儀なくされてきた中で、パッチ的にとはいえこのような特殊暖帯林が良好な状態で維持されてきた大きな理由は、大名持神社にある。この神社は、『日本三代実録』(901年)によると「正一位」を授けられており、奈良では春日大社に匹敵する格の神社であった。したがって、その社叢である妹山は、地城の人々の崇敬をあつめ“忌み山”として入山を禁じられ、長きにわたって人の手が入るのを拒んできたと言える。
 また、大名持神社は、「大汝宮」「大海宮」とも言われ、社前の吉野川潮生淵では毎年6月30日に 海水が湧き出るとの伝えがある(現在は、行方不明)。桜井市内では、社の祭を執行するに先立って当屋の者がこの神社に参詣、この淵で禊をし吉野川原の小石を持ち帰って神事にのぞんだ風習があり、「大汝詣り」としても有名であった。

【妹背山婦女庭訓】
 吉野川をはさんで妹山の向かいに背山があり、二つ合わせて妹背山と呼ばれている。人形浄瑠璃や歌舞伎の演目である『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)の舞台として有名である。とりわけ「山の段」では、中央に吉野川を配置し、向かって右手の背山に大判事清澄の館(久我之肋の館)、左手に妹山太宰館(雛鳥の館)が設置され、川を隔てて会話をする演出で、若い二人の悲恋が繰り広げられ、和製『ロミオとジュリエット』として名高い。1771(明和8)年初演の時代劇フィクションであり、実際の妹背山とは舞台の構図ぐらいしか現実味がないが、脚本の演出上、大名持神社から上流の宮滝に至る歴史やすぐ近くの吉野山が、悲恋を一層盛り上げるのかもしれない。
 ちなみにこの辺りには「一ノ瀬」という地名が残っており、ここまで蛇行を重ねてきた吉野川は、これ以降西へほぼ直線となって流れていく。

【妹山に入る】
 国の天然記念物であり、貴重な植生の保護のためには、現在も、入山には厳しい規制があるが、この度、学術調査を目的に許可を得たグループに同行することができた。妹山樹叢は、上から見ると、右手の甲を南にピースサインを閉じて北東を指した形をしている。その中指の先が吉野中学校北側を走る道路と接しており、そこに入山しやすい箇所がある。ツルマンリョウ、ルリミノキ、テンダイウヤクの画像を片手に、入山してすぐに、ツルマンリョウを見つけることができた。その後、尾根沿い(中指の背の部分)に上っていくと、ルリミノキやテンダイウヤクも容易に見つけることができた。赤い実をつけたツルマンリョウやルリ色の実をつけたルリミノキもわずかながら残っていた。あと、ヤブツバキ、サカキ、イヌガシ、カゴノキなど、照葉樹の森の代名詞というべき植物がオンパレード。花と言えば、この時期(3月末)、アセビが満開であった。
 やがて、尾根筋でヒノキの天然群落に出くわす。有用材のヒノキの場合、天然の巨木が残っていることは珍しく、その生態を知る上でも貴重である。妹山の各斜面ではコジイが優占種であり、イチイガシやシラカシ、ツクバネガシなども見られ、この地域の原始照葉樹林の姿をとどめる興味深い森である。1981年5月に昭和天皇が行幸され、開花中のコジイやツルマンリョウを観察されたそうである。
 山頂にとりつく斜面は急であるが、上りきったところには標高249m(国土地理院の地形図では標高260mと読み取れる)の山頂を示すものは何もなく、比較的平坦な土地が長細く広がっている。ヒノキなどの高木に阻まれ見通しは悪く、林床にはツルマンリョウなどの低木が目立った。
 時期は3月末とあって、照葉樹の森の場合、常緑の葉のクチクラ層の輝きを見ることはできても、花や実は期待できない。鬱蒼としたシイやカシの高木の下に、常緑の林床植物が足下を阻み、植生に興味がなければ決して面白みのある森ではない。しかし、こうした森こそ縄文時代以前の西日本の原景であり、極相林の形なのである。

 
ツルマンリョウ(ヤブコウジ科)   ルリミノキ(アカネ科)
 
テンダイウヤク(クスノキ科)   山頂(ヒノキ群落)
 
 
 
   

 
   

Copyright (C) Yoshino-Oomine Field Note