Field Guide
                         くりんとのフィールドノート

           
   
 トロッコで行く湯治場・湯ノ口温泉

湯ノ口温泉駅

 熊野の襞は深い。釣りにキャンプに温泉、カヌー、古道と、何度も足を運んできた熊野だが、 昭和の時代に大規模な「紀州鉱山」なるものが存在していたということをあらためて知った。
 三重、和歌山、奈良との県境にあったこの鉱山(現在・三重県熊野市紀和町)は、古くは奈良時代、東大寺の大仏が造られた時も多くの銅を献上したと言われている。
 紀和鉱山資料館(熊野市紀和町板屋)では、中世・近世の手掘りの時代から近代的な採掘方法まで、絵巻物のように案内されており、前庭には、架空線式電気機関車610号機や蓄電地式電気機関車230号機などが展示されている。
 外庭には、閉山間近まで使われていたと思われるトロッコなどの実物が展示されている。
 一方、資料館から数百メートル南には、紀州鉱山選鉱場跡(板屋)が巨大な廃墟となって、閉山後40年の時を経ている。左脇には、鉱石を運び出すトロッコのトンネルもあり、往時を偲ぶことのできる産業遺産である。この選鉱場は、昭和9年に紀州鉱山開発に着手した石原産業株式会社が、昭和14年に建設したもので、最盛期には1日2000tもの選鉱処理を行う24時間操業の不夜城であったという。ここ板屋の選鉱処理場で取り出された精鉱石(銅鉱)は、那智勝浦町の浦神港から精錬所に輸送された。鉱山は、1978年(昭和53)5月に閉山し、選鉱場の建物は昭和57年に解体された。(以上、現地の案内板より)

 閉山翌年の1979年(昭和54)に、湯ノ口地区に湯温45.5℃の天然温泉が湧出し、湯ノ口温泉として観光業に活路を見いだした。しかし、「湯ノ口」という地名からも想像できるように、古くから温泉が湧いていたと思われ、鉱山従事者をはじめとする湯治場であったようだ。現在、日帰り用の湯元山荘湯ノ口温泉を中心に、バンガローやロッジ、コテージがあり、安価での長期滞在が可能な湯治場としての環境が整っている。また、熊野川河岸には、入鹿温泉ホテル瀞流荘も運営されている。私のお気に入りは、「瀞流荘駅−湯ノ口温泉駅」間で営業運転されている観光用トロッコだ。鉱石運搬のために軌道総延長73.8km(1968年時点)もあったトロッコ軌道のうち、この約1km区間に、小さな客車を引っ張る蓄電池式の電気機関車が運転されているのだ。
 遊園地の列車を思わせるような木製の客車に背を丸めて乗り込むと、2本の坑道用トンネルをぬけ約10分で湯ノ口温泉に到着する。 実は、この温泉場まで車道がついているが、トロッコを利用することで、トンネルを抜け駅に到着した時、目に映る風景は、まるで昭和の温泉街にタイムスリップしたような感動がある。期滞在しながらの湯治に興味津々だが、そちらはリタイアー後の楽しみとしたい。トロッコの時刻表は、事前に要チェックである。

 
蓄電地式電気機関車   湯ノ口温泉駅より5号隧道
 
湯ノ口温泉バンガロー   湯ノ口温泉駅
 
板屋選鉱所跡   板屋選鉱所(紀和鉱山資料館)
 
古の選鉱所再現(紀和鉱山資料館)   架空線式電気機関車610号機(紀和鉱山資料館)

『紀州鉱山専用軌道』名取紀之・著より

 
 
   

 
   

Copyright (C) Yoshino-Oomine Field Note