Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
 東大台周回コース 【 正木峠〜正木ヶ原】
正木ヶ原から正木嶺を望む

 日出ヶ岳山頂から真南に正木峠が見える。紅葉期にこの峰を望むと、正木峠の北斜面にはかろうじてトウヒやウラジロモミの針葉樹も残っており、その分布がよくわかる。とりわけ標高の低いところや歩道沿いにはシロヤシオが集中しており、一足早く真っ赤な紅葉を披露してくれる。正木峠の上り下りには木製階段が設置されており、日出ヶ岳側から進むとシロヤシオのトンネルをくぐり抜けていくことになる。例年6月上旬〜中旬に真綿色のツツジの花を咲かせる。5枚の葉が枝先に輪生状に付くことから、「ゴヨウツツジ(五葉躑躅)」という別名もあり、白い蕾とこの5枚の葉が同時に芽吹く。ちなみに、愛子内親王のお印がこのシロヤシオで、那須御用邸でも5月頃に咲き、「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という両親の願いが込められているらしい。
 木製階段を上りきったところにもはや高木はなく、ミヤコザサの草原が広がる。登山地図によっては「正木嶺」という表示もあり、地形図から標高1680mのピークと推定できるが、三角点も水準点もない。明治期に、松浦武四郎は大台ヶ原の各ピークに石標を建立させているが、ここの石標には「マサキ峠」と刻まれていた。2019年現在、この石標は行方不明となっている。
 正木峠からさらに南に向かって木道の下りが伸びているが、この歩道を境に左手が三重県、右手が奈良県となる。正木峠一帯は、かつて針葉樹で覆われ鬱蒼とした苔むす森であったが、昭和30年代の伊勢湾台風や第二室戸台風によって南東斜面を中心に大量の針葉樹が倒壊し、林床に陽光が差し込むようになった。この機にミヤコザサ草地が広がったものの、元来遷移の法則によって再び森林化していくはずである。ところが、同時期に周辺で増えたニホンジカがここ大台ヶ原にもやってきた。ミヤコザサはニホンジカの主食になると共に、次世代担う針葉樹の稚樹も食害にあい、ニホンジカにとってミヤコザサ草地という好適環境がさらに拡大していくことになった。
 当初、正木峠南東斜面に広がったミヤコザサだったが、1990年代になると正木峠西側にも拡大し、現在では(2019年)、正木峠一帯がトウヒやウラジロガシの立ち枯れ墓場の様相をなしている。
 正木峠から西側(奈良県側)に目をやると、数百メートル先に環境省の設置した防鹿柵が見られる。「大台ヶ原自然再生推進計画」に基づいて、ニホンジカが侵入できないエリアを設け、森林更新保全の場を整えているのだが、その成果の有無が確認できるのはまだ少し先だろうか。東側にも2m四方の防鹿柵が点在しているが、こちらは林野庁の「自然再生推進モデル事業」によるものらしく、手法は異なれど大台ヶ原の自然を再生しようという目的では同じのようだ。

 
シロヤシオのトンネル   白い蕾とこの5枚の葉が同時に芽吹く
 
正木峠からさらに南に向かって木道が伸びる   熊野灘が望める

 続いて、正木峠から下りきったところにぬた場がありは、動物たちにとっての水場であり、ニホンジカやイノシシが泥浴びをすることで知られている。この場所は、前述のように正木峠南東斜面に開けた大台ヶ原随一のミヤコザサ草地に隣接しており、各尾根筋からのシカ集団が集まる交わり地帯であることが、GPS首輪装着個体の移動状況調査(2005年、2007年/大台ヶ原自然再生推進計画第2期より)からもわかる。大台ヶ原地区パークボランティアの会でも、環境省の許可の下、このぬた場に自動撮影カメラを設置して哺乳類たちの観察を続けてきた。撮影された画像のほとんどはニホンジカの動向だが、キツネ、イノシシ、テンが撮影されていた。自動撮影カメラから見えたニホンジカの考察については、別項で紹介したいと思う。
 正木ヶ原の標識が建つところにはコメツガの高木があり、この下で弁当を広げる登山客の姿がよく見られる。さらに、中道との合流地点が近づくにつれトウヒやウラジロモミ、ヒノキなどの針葉樹も増え、そうした林を好むコガラやキクイタダキ,ルリビタキなどの野鳥のさえずりも耳にすることができる。合流地点の尾鷲辻には東屋が建ち、牛石ヶ原や大蛇ー方面へのルートと共に、東屋の奥に堂倉山を経て尾鷲に抜ける尾鷲道がある。堂倉山は、大杉谷の支流の1つである堂倉谷・堂倉滝の源流にあたるが、山頂付近は眺望もよくない。

 
ぬた場   ぬた場に現れたニホンジカ
 
コメツガの高木   正木ヶ原
 
 
 
   

 
   

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