Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
 龍伝説の残る中葛城山道
   

龍尾塚

 

龍頭塚

 

龍胴塚

北山村(現五條市)に、こんな話が伝わる。

 昔、大龍が住んでいて村を荒らしまわった。ある日、一人の修験者が、龍を退治するために祈りを始めた。現れた龍は、今にも修験者にとびかかろうとしたが、修験者は手に持った数珠を振り上げてハシッと投げつけた。龍は3つに切れて地上に落ちた。村人は喜んだが、龍の祟りを恐れて、頭、胸、尾それぞれの落ちたところに寺を建立し龍を厚く弔った。今は、それらの寺の跡形もないが、3つの寺の仏像は、北山村草谷寺に残っている。
              (編集:奈良県童話聯盟、編纂:高田十郎『大和の傳説』S8.1.15.大和史跡研究会)

 この伝説を楽しむことのできる登山道がある。現在の草谷寺(北山町)から中葛城山に至るルート上に、「龍尾塚」「龍頭塚」「龍胴塚」と彫られた石碑が点在しているのだ。石碑の裏には「昭和丙午」の銘があり、昭和41年(1966年)設置と比較的新しいが、それぞれの寺院跡という伝承に基づく場所だろうか。ただ、いずれも見つけにくいところにあり、この3つの碑がオリエンテーリングのコントロール・フラッグとなって、伝説を追いかけるという趣向の登山ができる。

【龍尾塚】
 現在の草谷寺は北山町の人里近くに建てられており、旧草谷寺などから移された薬師如来坐像、薬師如来立像、不動明王坐像が国の重要文化財に指定され、いずれも秘仏となっている。この寺院の境内に最初の「龍尾塚」があるはずなのだが、案内板もなく、地域の方に聞いても漠然とした方角しか返ってこない。結局、本堂の裏手の山を登り、クモの巣をかき分けてようやく発見できたのだが、幻の龍を探す趣向としては、最初からいい調子である。

【龍頭塚】
 この地域の人々が古くから信仰していた神社に高天岸野(たかまきしの)神社があり、延喜式社内である。中葛城山中腹にあって車は入れず、参道は山道を登るしかないのだが、途中、旧草谷寺跡を通過しここに「龍頭塚」がある。北山町内の車道の電柱に「葛城二十八宿経塚巡行、高天岸野神社(弁財天)、龍頭塚」を示す小さな木札が掛かっており、参道入口を示す唯一の目印である。ここを登って行くと、やがて、森の中に天水田が現れ桃源郷に来た錯覚を覚える。かつてはもう少し広大な棚田が広がっていたと思われるが、今は一軒の農家がなんとか耕作できる広さの棚田が残っている。稲刈り時に出くわし話をうかがったが、軽トラも入れず小型の稲刈り機をなんとか運び上げ、1日で刈りとる予定らしい。
 天水田を通過して植林された山道をしばらく登っていくと、先ほどと同じデザインの「龍頭塚(草谷寺跡)」と示された標識が掛かっており、この分岐を左に折れる。やがて、山中に平地が開け草谷寺跡と認識する。周辺には、かつて修行僧のものかと思える墓碑や石灯籠なども散在し、修験道隆盛時の伽藍を想像してみるが、よほどたくましくイメージしない限りすぐに山の緑に変わってしまう。さて、肝心の「龍頭塚」だが、2回目の登山でようやく見つけることができた。
 高天岸野神社は、中葛城山に至る山道からは少しそれ、最後に自然石を使った長い石段が待ち構えている。現在、御神体は一尾背神社(北山町)に移されているらしいが、今のところ荒廃した感じはなく社殿や拝殿が残っている。神社のそばには清らかな湧き水が吉野川の源流の一端をなしているが、北山町は歴史的にも土石流災害の多かったところで、「川が氾濫した様子を龍が暴れたように例え、川を鎮めるために、龍をとむらったのではないか」とも言い伝えられている。

【龍胴塚】
 参道をとって返し再び中葛城山を目指すが、やがて、これまでと同様の「龍胴塚」を示す標識が現れる。しかし、この標識のすぐ近くに「龍胴塚」があるわけではないということに、やはり2回目の山行でわかった。この標識から山道はわかりづらくなり、「龍胴塚」も見つけにくい。大人3人30分近く探し回ってやっと見つけたが、たどり着けば意外に足下近くにあるものだ。これらの塚は葛城二十八宿の行場とはなっていないが、那智山青岸渡寺の行者たちが置いた碑伝が3ヶ所とも残されているので、伝説の地の寺院跡を熱心に巡礼されたんだなと知る。
 中葛城山三角点までは、さらに30分ほど荒廃した山道を探っていかなくてはならない。ただ、地図と方位磁石をたよりにこのあたりの最高地点をめざせば近づくことはできるし、尾根には立派なダイヤモンドトレールが整備されているはずだという予測がつく。ただ、ここの三角点はダイヤモンドトレールからはずれた笹藪の中にあり、最後のコントロール・フラッグを探さねばならない。

 中葛城山や高谷山を稜線とする金剛山地を裾野から眺めていると、何百年から何千年何万年もの昔に発生した土石流によるものと思われる深く大きな爪痕が、いく本も山肌に刻まれている。金剛山地南縁には第一級の活断層中央構造線が走っており、この断層の活発な活動によって金剛山地や和泉山脈が生まれたと考えられている。土石流はこうした活断層の活動ゆえ頻繁に起こり、その谷と谷の間は尾根になって、まるで山頂から山裾まで大蛇が降りたっているようにも映る。村を荒らしまわったと伝わる龍伝説の由来は、土石流そのものかあるいはその爪痕なのか、こちらは豊かに想像をふくらませることができる。

 
草谷寺   高天岸野神社
   
登山口標識   天水田   中葛城山三角点
 
 
   

 
   

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