Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
 高野山黒河道(くろこみち)を行く

旧久保小学校(2020年4月11日)

 高野山に通じる街道は7本と言われ(高野七道)、明治5年まで、それぞれの入口に女人結界(高野七口)が設けられた。そのため、各入口には女性のための籠り堂として女人堂が建てられ、女性信者は弘法大師の御廟を四方八方から拝むために、女人堂から女人堂へ高野山の峰々を辿ったといわれる。この周回道が「女人道」であるが、高野七口とそれぞれの女人堂とは場所的に必ずしも一致していないようだ。今も残ってる女人堂は不動坂口女人堂のみとなった。一方、その七道のうち、町石道・黒河道・熊野古道小辺路が、世界文化遺産に登録されている。
 その1つである黒河道(くろこみち)は、1594年(文禄3)、豊臣秀吉が高野下山の際利用した道としても知られている。定福寺(橋本市賢堂)を起点として高野山をめざして登るのが、参詣道として向き合い方もしれないが、今回は、秀吉を追いかけるように黒河道女人堂跡から下ることにした。

 黒河道女人堂は現存していないが、観光マップには黒河道女人堂跡なるものが記されており、そこをめざすものの、見つけにくい木札が建てられているのみであった。高野山森林公園をぬけ、転軸山(915m)を経由して女人道に沿う。 転軸山の東側に弘法大師廟を見下ろせるはずだが、森林で視界は開けていない。やがて、高さ822mという一本杉に出くわすが、この辺りから古道らしい雰囲気が漂う。女人道と交差する小川に癒やされていると、子継峠(粉撞峠)に到達する。「香春峠(こつぎとうげ)永正壬申九年(1512年)八月廿二日 検校重任」と銘のある地蔵が、500年以上にわたってこの峠を見守っており、祠におさめられている。
 茶堂跡を通過し、旧久保小学校に出る。この集落は、大正の頃に含銅硫化鉄鉱床で知られる久保鉱山で栄えたようで、1876年(明治9)創立、2006年(平成18)には休校となった。手入れの行き届いた木造校舎は、現在、「くどやま森の童話館」として蘇っており、運動場脇にはヤマザクラの巨木が2本、満開ともなるとそれは見事な花模様が容易に想像できる。また、プール脇のイロハモミジの木は、梅雨が近づくとモリアオガエルの産卵場所となるようで、ヤマザクラとモリアオガエルの季節にそれぞれ再訪してみたいと強く思った。

 
 
黒河道女人堂跡   転軸山
 
女人道の一本杉   子継峠の地蔵

 旧久保小学校を出発すると、すぐに久保田和の石仏に出くわす。こちらの石仏は弘法大師像と観世音菩薩像で、左手に「右かうや」「左まんに道」、右手に「明治十四年二月二十一日」の銘が刻まれている。この辺の道から「太閤坂コース」という名がついており、道沿いには民家の跡を示す石垣や休耕田が多く見られ、一昔前の賑わいが偲ばれる。
 市平集落が近づいてくると、市平春日神社の大カツラの木が出迎えてくれる。樹高35m、樹齢推定300年以上の九度山町指定天然記念物である。3月末から数週間、真っ赤に吹き出す新芽が遠目には紅葉のようにも映るらしい。やはりここもその時期に再訪したいと思った。市平橋は標高約180m、めざす明神ヶ田和は標高443mの峠と、最後に一汗かかなければならない。わらん谷沿いに伸びる道には、途中、落差5m程のわらん谷の滝がある。
 明神ヶ田和から帰着点の1つ定福寺までは、果樹園の間を抜けて目と鼻の先である。和歌山はミカンの産地であるが、実は、柿の生産量日本一の都道府県で、このあたりは柿畑が多い。橋本市内を眼下に一望できるところに五軒畑岩掛観音があり、この辺りを巡礼する西国写し霊場の一つである。ちなみに、右石仏は11番上醍醐寺、左は14番園城寺(三井寺)となっている。
 私の場合、約7時間かけて黒河道女人堂跡から定福寺に到着、黒河道参詣道中の無事を報告した。高野山真言宗の寺院で、こちらの九重の塔は鎌倉時代の1285年(弘安8)の銘がある。

 
モリアオガエルが産卵したイロハモミジ(2020年5月31日)   久保田和の石仏
 
市平春日神社の大カツラの木(2020年3月29日)   定福寺
 
 
 
   

 
   

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