信長も、子規も食べた「御所柿」

 柿は『古事記』や『日本書紀』にも記されているが、その頃の柿は全て渋柿だった。ところが、室町後期ごろ、奈良の御所(ごせ)で、種なしでも成長過程で渋みが無くなる甘柿が突然変異によって誕生した。その後普及した「御所柿」は、織田信長への献上品としても記録が残る。また、正岡子規の「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の原体験と言われる記述が、『ほととぎす(第四巻第七号)』の中に、「御所柿を食ひし事」と題して残されているそうである。
 やがて、庶民の間にも普及した甘柿の主役は、実も葉も小ぶりで、現代人の柿のイメージからすれば肩すかしを食らいそうである。というのも、明治期以降、御所柿の血統を継ぐ新品種の富有柿が普及し、実は大きくさらに甘くなった。一方、小ぶりで風雨に弱く、実の数が少ない御所柿は、生産効率が悪いということで、次々と姿を消した。いつしか「幻の柿」となってしまった御所柿の木は、今では数えるほどの木が金剛山麓に点々と残るだけという。ちなみに、接ぎ木でしか増やすことができない。
 ところが、この御所柿の歴史的付加価値にも注目し、この種を奈良のブランド品しようという試みが、にわかに始まっている。また、希少だが一部は流通経路にのっかり、手に入れることもできる。完熟の一歩手前になると、手で二つに割ることができ、あっさりとした甘味に思わず笑みがこぼれる。

 
金剛山麓の集落に残る御所柿   ちょっと完熟すぎかな