名 前 テング【天狗】
出没地 十津川村、長谷寺(桜井市)、神野山(山添村)、金剛山・葛城山
伝 説

○長谷寺の一の回廊をのぼりつめたところに「天狗杉」がある。第十四世の能化(管長)英岳大僧正は、灯籠の火を消してまわるなどいたずらをする天狗を懲らしめるため、天狗の住む杉の大木をみんな切ろうとしたが、「ここまで学を積めたのは天狗のおかげ」と、一本だけ天狗のすみかとして残してやったという。(※1・他)
○月ヶ瀬の神野山の天狗と伊賀の青葉山にいた天狗とが喧嘩をした。神野山の天狗が青葉山の天狗をたいへんおこらせたので、青葉山の天狗はさかんに石塊を神野山の天狗に投げつけた。神野山の天狗は弱いふりをしてほうっておいた。青葉山の天狗はこれにつけこんで、手当たり次第に石塊や芝生をつかんで投げた。そのため伊賀の青葉山は岩も芝生もなくなり、はげ山になってしまったが、大和の神野山は石くれが集まって、鍋倉谷ができたり、山頂が芝生になったりして、きれいなよい山になったという。(※1)
○十津川には「天狗ー(天狗岩)」と呼ばれているところがたくさんあり(大井谷・果無・下津越・樫原の滝など)、岩が壁のように高く立っている。ここには、たくさんの天狗たちがすんでいて、空を飛んだり、すもうをとったり、うちわで風をおこす競争をしたりけんかをしたりして、その度に岩が落ちてくる。また、失踪事件がおこると、天狗のしわざとして残る話も複数ある。(※2,4)
○北今西(野迫川村)の人が小屋がけをして下駄の材料を作っていたら、真夜中に小屋の屋根をバリッと踏みぬいて、毛の生えた大きな足が現れた。そして、「カラカラ」と大声で笑って消えた。また、北今西の山のモミを学校建築のために切った。すると近くの畑の持ち主にあたりちらかして、毎晩、天狗さんの大きな笑い声がして寝られなかったという。(※3)

談 義

【考察】
 「中世にいたって、<鬼>の存在はひとつの哲学として昇華をとげることによって、観念の世界に定着していくが、天狗が逆に山伏を媒介としてしだいに具体的行動をもちはじめ、人間臭をつよめていく。」(『鬼の研究』馬場あき子)
 平安時代末期に成立した『今昔物語』には鬼も天狗も登場しているが、やがて、人々を惑わす妖怪の世界も、中世を境に「鬼」から「天狗」へと主役の世代交代が行われていったと言えるのだろうか。馬場あき子さんの先の著書によると、天狗には次のような形態があるという。
@幻術や験力をもって体制の攪乱や権威の失墜を狙うが、高僧・貴顕の威力に圧倒されて失敗し迫害される。
A仏界権威の末端である僧侶のたぶらかしに成功し始め、あるいは人などを遠くへ拉致し去るが姿は見えない。しかし、こうした不可解な現象を、天狗と交流があるかもしれない山伏に託して説明しようとしている。
B山伏姿に当てはめられた天狗は、中世社会において、叛乱助力者としての風貌をあらわし始める。やがて、体制攪乱に成功し、人心に動揺を巻き起こすようになる。
C『太平記』の世界においては、非業の叛乱者はすべて天狗として位置づけられ、天界に君臨する相が考えられるようになる。
 長谷寺の天狗は、先の分類によると正に@のタイプで、初期の頃のどこかドジで憎めない天狗である。一方、十津川村の天狗は「天狗さらい」「天狗つぶて」、野迫川村のは「天狗わらい」と、全国 的な天狗伝説によくみられる特徴である。不可解な現象を姿の見えぬ天狗に押しつけているという点で、Aの分類にあてはまるだろうか。

【フィールドワーク】
 青葉山の天狗と神野山の天狗が喧嘩をして鍋倉渓ができたという神野山に行くと、「からすてんぐ」がフォレストパーク神野山のマスコット人形として出迎えてくれる。また、神野山のある山添村のゆるキャラは「てんまる」と言い、やはり烏天狗をモデルにしている。
 沢筋に沿って500m以上にもわたるおびただしい数の岩石は、まるで天の川のようだが、角閃斑糲岩(かくせんせきはんれいがん)という深成岩で、非常に堅い岩質のため侵蝕にたえて残ったものだとされている。古人たちにとって、 想像の絶する自然現象を引き受けてもらいやすいのは、やはり天狗ということらしい。

引用文献

※1)奈良県史編纂委員会『奈良県史13民俗(下)』(S63.11.10.名著出版)
※2)奈良の伝説研究会編『奈良の伝説』(S55.9.25.日本標準)
※3)野迫川村史編纂委員会『野迫川村史』(S49.9.20.野迫川村役場)
※4)奈良県教育委員会事務局文化財課『十津川村史』(S36.5.20.十津川村役場)
※5)『鬼の研究』馬場あき子

長谷寺の天狗杉
 
鍋倉渓   山添村のゆるキャラ「てんまる」