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照葉樹林文化とナラ林文化

「照葉樹林文化論」とは、中尾佐助氏、佐々木高明氏らによって提唱された文化人類学の一学説である。照葉樹林は日本南西部から台湾、華南、ブータン、ヒマラヤに広がる植生であり、この地域一帯に共通した文化が成立するというのである。なかでも、中国雲南省を中心とする東亜半月弧にその文化の起源地があるとされ、森林や山岳と結びついたものが多い。そして、それらの文化伝播によって色濃く影響を受けたのが西日本の縄文文化というわけである。
 佐々木氏はさらに、西日本の照葉樹林文化に対比させるかたちで東日本に「ナラ林文化」という概念を設定した。中国東北部や朝鮮半島に広がるモンゴリナラやブナ林の分布する地域にみられる文化要素と東日本の縄文文化を関連づけて説明しようとするものである。
 要約すれば、東日本には東北アジアのナラ林帯につながる文化要素が流入し、西日本には東アジアの照葉樹林帯と関係する諸要素が伝来してきた。そのことによって、縄文文化の地域差が生み出され、さらにその基礎の上に立って現在にまで連なる日本文化の東・西差が形成されたというのである。


照葉樹林文化のセンター(東亜半月弧)

 

日本列島東西の文化の相違 】

 

照葉樹林帯(西)

ナラ林帯(東)

森林植生

常緑広葉樹林
カシ類シイタブクスツバキ

温帯落葉広葉樹林
ナラ類(ミズナラ等)、ブナ、クリ、カエデ、シナノキ

方言

「おる」
「タニ(谷)」
「−じゃ」

「いる」
「サワ(沢)」
「−だ」

生活

カマド(羽釜、セイロ)
天秤棒
フンドシ
「風呂」
牛(牛耕)
海賊型・水軍型の武士団

イロリ(鉄瓶、鍋)
背負子
ハカマ
「湯」
馬(馬耕)
騎馬型の武士団

味覚

薄口(醤油)
酢・味噌の消費量(多)
うどん文化圏

濃口(醤油)
酢・味噌の消費量(少)
そば文化圏

縄文遺跡

半円錐形細石核の文化圏
突帯文土器文化圏(縄文晩期)

クサビ形細石核の文化圏
亀ヶ岡土器文化圏(縄文晩期)

縄文時代の
主要食糧

◎カシ類、シイ、クズ
○サケ・マス
○クリ、ナラ類、ワラビ
(ヤマノイモ、ヒガンバナ、テンナンショウ、サトイモ)

◎クルミ、クリ、トチ、ナラ類
◎サケ・マス
○ウバユリ・カタクリ、ワラビ、クズ

人口密度低い 人口密度高い

稲作文化が急速に広まる
(北部九州から伊勢湾までの展開にわずか数十年)
新モンゴロイド

稲作文化に強い抵抗 
古モンゴロイド

● 照葉樹林文化

温帯常緑広葉樹林には2つのタイプがあり、一つは地中海地方に見られるコルクガシ、オリーブなどの硬葉樹林、もう一方 は、夏期に多雨の暖温帯が見られ、葉の表面にクチクラが発達して光って見えることからその名のある照葉樹林である。
 照葉樹林の主要な構成樹種としてはブナ科のシイ・カシ類。他に、クスノキ科のクスノキ、タブノキ、カゴノキ、シロダモ、ツバキ科のヤブツバキ、サザンカ、モッコク、サカキ、ヒサカキ、モチノキ科のモチノキ、クロガネモチ、タラヨウ、ナナミノキ、ヤマモモ科のヤマモモなどである。

現在、西日本の広い範囲でコナラやクヌギ、クリなどの落葉樹が混交林として存在する。温量指数140°−120°はカシ・シイ類を代表とする照葉樹林で、伐採してもすぐもとの照葉樹林に戻るが、温量指数120°−100°は乾燥しているため一度焼畑などで焼き払うと照葉樹林には戻らず、コナラなど落葉性の二次林となる。つまり、照葉樹林は、伐採などの人為的撹乱をすると落葉広葉樹林に遷移してしまうことが多いのである。
 
縄文時代において、人間の度重なる干渉や自然の利用はあったものの、その結果としての二次林の広がりはな かった。その後の水稲農耕こそが、二次林出現の契機であったと考えられている。また現在は、スギやヒノキなどの植林によって人工林が広がり、照葉樹林を見るには社寺林にその残片がかろうじて存在している。

温量指数分布図

 

 中尾氏によると、世界の農耕文化の原型を次の4つとしており、そのうち「東南アジア起源のイモ類を主とする根栽農耕文化」が温帯適応型となって「照葉樹林文化」に発展したとしている。
1)東南アジア起源のイモ類を主とする根栽農耕文化 
2)アフリカ及びインドのサバンナ地帯起源の雑穀類を主とする夏作農耕としてのサバンナ農耕文化
3)西アジアから地中海沿岸にかけての冬雨地帯起源のムギ類を主とする地中海農耕文化
4)南北アメリカ起源の根栽農耕と夏作農耕をひっくるめた新大陸農耕文化

 中尾氏と佐々木氏のそれぞれの「照葉樹林文化の発達段階」論を以下の表に整理してみた。各段階の文化要素を見た時、日本古来の食文化と思われていたもの、例えば「水晒しによるクズやワラビ、ドングリなどのアク抜き」や「味噌、納豆、ナレズシなどの発酵食品」なども、実は中国雲南省を中心とする東亜半月弧に由来するのかもしれない。現在の日本の食文化は、米食を基本としながらもずいぶん欧米化されてしまったが、私の住む奈良県内でも、吉野の山村には、クズやトチノキの実を水晒しによって食する文化が残っている。
 佐々木氏によれば、「雑穀を主とした焼畑の段階」が最も照葉樹林文化らしい特徴としており、後に大陸からもたらされた稲作文化を比較的スムーズに育む土壌となったとしている。国立歴史民俗博物館の最近の研究発表によると、水田稲作が日本に伝わり弥生時代が幕を開けたのは定説より約500年早い紀元前1000年頃とされるようになった。この稲作文化はその後の国家権力を背景に、東北から九州まで広がりを見せるが、例えば紀伊山地の襞々にあたるような山村では稲作をするに適した平地も乏しく、焼畑は戦前までのさほど珍しくない吉野山村の一風景であった。このように、未だもって私たちの周りには、照葉樹林文化の残骸が継承され、注意深く探せば垣間見ることができる。

【照葉樹林文化の発達段階 】

初期中尾氏論 佐々木氏論 照葉樹林帯共通の文化要素

T野生採集段階

ナット
野生根茎類

プレ農耕の段階
(照葉樹林採集・半栽培文化)

狩猟・漁撈・採集活動が生業の中心

水晒しによるアク抜き技法
ウルシの利用
食べ茶の慣行
堅果類を産する樹木の半栽培

U半栽培段階

品種の選択・改良

クズ、ワラビ、ヤマノイモ、ヒガンバナ等の半栽培
野蚕の利用
エゴマ、ヒョウタン、リョクトウの栽培

V根栽植物栽培段階
※後に消滅か?

サトイモ・ナガイモ・
コンニャク
焼畑

雑穀を主とした焼畑の段階
(照葉樹林焼畑農耕文化)

雑穀・根栽型の焼畑農耕が生業の中心

※最も照葉樹林文化らしい特徴。稲作文化を育む土壌。

 

飲み茶の慣行
ウルシを用いる漆器製作
マユから絹を作る技法
麹を用いるツブ酒の醸造
ミソ、ナットウなどの大豆の発酵食品

Wミレット栽培段階

ヒエ・シコクビエ・アワ・
キビ・オカボ
 

コンニャクの食用慣行
モチ種の穀物の開発と利用、その儀礼的使用
オオゲツヒメ型神話、洪水神話、羽衣伝説
歌垣
サトイモの儀礼的使用、八月十五夜

X水稲栽培段階

イネ水田栽培

稲作ドミナントの段階
(水田稲作農耕文化)

水田稲作農耕が生業の中心をなす 。

ナレズシづくりの慣行
鵜飼の習俗
高床家屋
 
● ナラ林文化

東アジアにおけるナラ林の分布

   縄文時代(中期)の人口分布と森林分布

 ここでいうナラ林とは、暖温帯及び冷帯の落葉広葉樹林で、低地ではブナ科のコナラ、クヌギ、アベマキ、高地では同じくミズナラ、ブナなどが主要な構成樹である。また、高地ではカエデ類や針葉樹が混交林として現れてくる。こうしたナラ林も、大陸ではモンゴリナラやリョウトウナラに変わる。
 コナラやクヌギ、ミズナラなどブナ科の落葉樹は、秋には大量のどんぐりを落とす。また、東日本の落葉樹林にはオニグルミやクリ、トチノキなども多く、河川には多くのサケやマスの遡上も見られる。このようにナラ林帯は、採集・狩猟・漁撈を中心とする縄文人に豊かな恵みをもたらし、縄文時代中期の人口の8割以上は、このナラ林帯に集中していたと推測されている。

  縄文時代の晩期、あるいは弥生時代の初期に北部九州へ伝来した稲作文化は、新しい生産技術をもとに青銅器や鉄器をもたらし、また新しい思想やイデオロギー、さらには新たな社会変成原理などをもたらした。このような新しい稲作文化の急速な展開は、日常的な生活文化の面では土着の縄文文化の要素を引き継いだと考えられる。その結果、西日本の縄文文化のなかに伝承されてきた照葉樹林文化の諸特色が、稲作文化の中に取り入れられ、稲作文化とともに各地にひろがっていった。しかも、この文化の拡大は急速で、北部九州から伊勢湾の沿岸まで展開するのに、わずか数十年を要したにすぎないと推定されている。
 ところが不思議なことに、愛知県の西部で、この文化はしばらく停滞するのである。西日本にひろがっていた突帯文土器文化は、新しい稲作文化をすんなり受け入れたのに対して、東日本の亀ヶ岡土器文化は、稲作文化の受け入れに抵抗を示したとみられるのである。その理由として、東日本では、採集・狩猟・漁撈に基礎をおき、ナラ林文化の特色に彩られた縄文文化が繁栄していたために、新しい稲作文化の侵入には強い抵抗を示したと考えられるのである。東日本では、縄文的な文化の伝統がやや後にまで残るのは 、こうした理由ではないだろうか。
 いずれにしても、新しい水田稲作文化が伝来し、その文化が日本列島全域に広がるのに伴い、縄文時代以来の文化圏の性格は一変した。従来はマージナル(辺境)な地域であった西日本の照葉樹林帯が文化の中心地域になり、反対に東日本が辺境地帯になってしまったのである。

ナラ林文化の発展段階 】

発展段階 おもな文化的特徴
プレ農耕段階

サケ・マスの漁撈
堅果類・球根類の採集
狩猟(トナカイ・シカ・クマ)

・加熱によるアク抜きの技法
・深鉢型土器の卓越
・馬鞍型石臼の使用
・魚油や獣脂の広範な利用
・竪穴住居と定着的な村落の存在

農耕段階 畑作文化

・アワ、キビ、ソバなどの栽培
・北方系農作物群
  (大麦、エン麦、ゴボウ、ネギ等)
・ブタの飼育

崩壊段階   1213世紀頃か

【引用文献・図】
『植物栽培と農耕の起源』中尾佐助著・昭和41
『照葉樹林文化』上山春平編・昭和44
〇 『日本文化の基層を探る』佐々木高明著・NHKブックス)